この世界は、一日中太陽の光が降り注ぐ「昼」の地域と太陽の光が全く射さない「夜」の地域の二つに分かれている。


いつの頃からその二つの地域が存在するようになったのかは誰も知らないが、この二つの地域はそれぞれ「昼」世界、「夜」世界と呼ばれるようになっていた。
「昼」世界では太陽の恵みを利用した豊かな農産物の実りで潤い、「夜」世界では鉄鉱石などの資源を採掘し、それらを工芸品に加工するなどの技術力で栄えていた。
この二つの世界に暮らす住民たちは、当初はお互いの特産品を交換したりして友好的な交流を続けてきたが、そのうちに相手の地域が生み出す利益を自分たちが独占したいと考える者が現れるようになり、二つの世界の間で大きな戦へ発展するのに時間はかからなかった。
だが両者の力はほぼ拮抗しており、お互い相手に対して決定的な勝利の糸口を見つけられずにいたため、現在は膠着状態に陥っている。
そしてその状態がもう、数百年以上続いていた。



――天使の都サンクトゥス。
そこは「昼」世界の大都市の一つである。
「昼」世界の中心地である首都ドミネからは遠く離れ、かといって敵対勢力の「夜」世界の端境からも離れた、いわば地方都市の一つだ。
だがそこは「昼」世界の品物はもとより、「夜」世界の品物も多く流通する一大経済圏の中心地でもあった。
勿論、サンクトゥスは「昼」世界に属する都市なので、敵対する「夜」世界の住民の出入りは固く禁じられている――というより、一日中太陽が照りつける「昼」世界の環境は「夜」世界の住民達には過酷すぎたため、「昼」世界自体に留まることはおろか入ることができないものもいた。
だがこの「昼」世界の環境に対応できる「夜」の住民たちも存在していた。そんな彼らは、「夜」の住民の中でも稀有な力を持つものたちで、己の持つ力で階級が決められる「夜」の世界では貴族といわれていた。
だからこそ「昼」の住民は「昼」世界を恐れない「夜」の貴族たちを恐れた。
彼らは魔族とも呼ばれ、人の血を啜り、その死肉を糧とする呪われた民と言われていたからだ。
そしてサンクトゥスには、「夜」の住民が徘徊しているという噂がまことしめやかに語られていた。
サンクトゥスは、夜がないと言われる「昼」世界の中において、太陽の光が完全に遮断される夜の時間を人工的に作った最初の都市だったからだ。
そもそも太陽の光を完全に遮るなどという技術は「夜」の世界のものだと言われており、この技術を導入した当時のサンクトゥスの支配者は「夜」世界の貴族たちと何らかの繋がりがあったのではないかと言われていた。
そしてその彼が、「夜」の住民たちをこの都市に招き入れたのだ、と。

そんなサンクトゥスの繁華街、不夜城エリアと呼ばれる一角は風俗街や飲食店が昼も夜も問わず営業していることが多い。
その不夜城エリアの一等地、中央広場に面した一角に、どっしりとしたたたずまいの古風なレストランがある。
アルカサル・デ・ラ・エストレジャ――「星の城」と呼ばれているそのレストランは、裕福な「昼」世界の貴族たちのみならず、一般人でも値段に応じて様々な食事を提供する店として知られていた。
富裕層向けの完全個室から、大衆向けの相席当然な大人数収容の部屋まで、いろいろ取りそろえている。
夜十一時、その大衆向けのレストラン部屋は閉店し、見習いたちが片づけにせいを出していた。

「――おーい、床掃くから椅子全部上に上げてくれ」
「へーい」
「ほーい」
男たちの多少疲れの混じった声が、室内に響き渡る。つい数時間前まで多くの客で賑わっていた室内は、今やしんと静まり返っていた。
客が食べこぼした食材や、床に転がったワインのコルク栓等、気づけばフロアスタッフがすぐに拾って片づけるような大きなものも、最後の掃除の時にはテーブルの下から必ず一つは発見されるため、椅子をすべて上げての清掃は毎日欠かせない。
「早く片づけてあがろうぜ、明日はおれ早番なんだよ」
「おーう、何時だ」
「五時だ」
「そっか、頑張れよ〜」
客室でたわいのない雑談をしながら見習いたちが清掃に励む一方で、客室に直結した調理場では、すでに一通り掃除を終えて仕込みに入っていた大衆向け料理担当の金髪のシェフが、黙々とたまねぎを刻んでいる。
時々聞こえてくる客室からの見習いの雑談や笑い声に、彼はたまねぎを刻む手を止めずに言った。
「そうだてめェら、明日も早いんだからさっさと終わらせてあがれよ!」
「あれ、サンジさんはあがらないんで?」
――まだ仕込み終わらねェんですか?
そう不思議そうに若い見習いが客室から調理場を覗き込んで言うと、彼は軽くため息をついた。
「これは仕込みじゃねェよ」
――んなもんとっくに終わってる、とばかりにサンジが不機嫌そうに応じた。
サンジが大衆向けの客室を切り盛りする厨房のチーフであることはこのレストランでは周知の事実だが、別に彼一人ですべての調理を担当しているわけではない。当然他にコックは何人もいるし、仕込みだってそれぞれ分担して行っていた。それに仕込みは閉店するまでに終わらせることをサンジはモットーとしている。
そんな彼がひとり残って遅くまでたまねぎを刻んでいることは珍しいといえば、珍しい光景だった。
「上階の客がめちゃくちゃ食うってんで、おれも手伝いにかり出されてるだけだ」
「ハァ、上階って……個室のお客ですか?」
「どこの金持ちかは知らねェがな」
このレストラン「アルカサル・デ・ラ・エストレジャ」は一階、二階が大衆向けの客室だが、それより上の階には個室の客室が並ぶのみである。そしてその個室を利用する客はイコール金持ちだと相場は決まっている。個室の客に対しては食材も食器も全てグレードが上げるが、当然その分代金も高くなる。
レストラン最上階の一室しかない個室においては、一般人にとって一か月分の給料をはたかないと食べられない料理も出すのだから。
サンジは呟きながら用意した大きなボウルに山盛りにしたたまねぎのみじん切りを入れると、次ににんにくを手に取った。
「……そんなたまねぎたくさん刻むなんて、何上で作っているんですか?」
――それとも仕込みの手伝いとか?
不思議に思ったのか、見習いはそうサンジに尋ねてきた。
「マンガ肉」
するとサンジはあっさりと応じた。
「はぁ?」
なんですかそれは、とばかりの見習いの言葉にサンジが苦笑する。
「マンガ肉だよ。てめェらも漫画くらい読んだことあるだろう。漫画によく出てくる骨ついたでっかい肉」
「ああ……」
合点が言ったように見習いは頷き、多少呆れたように笑った。
「そんなもの注文してんですが、上の客は……」
「いや、結構需要あるみたいだぜ。中にはそれ目当てで来るのもいるらしいからな」
「でもそれならアイスバーンとかでいいんじゃないですか?」
アイスバーンとは塩漬けの豚肉の塊をそのまま煮込んだ地方の伝統料理である。確かに大きさはインパクトもあり、「骨ついた肉」にふさわしい料理ではあるだろう。
「上の連中が味のみならず見た目を重視してるのは知ってるだろう。アイスバーンだとマンガ肉と呼ぶには骨が両方から出ていないからどうも見た目がしっくりこない、イマイチだと言って牛の骨にハンバーグのタネを巻き付けて焼いて出しているんだぜ」
普通のハンバーグ出せばいいのに、とはそこでは言わない。個室の客には特に「言われたものは何でも料理して出せ」というのがこの店の鉄則である。
「それでたまねぎを?」
「ああ。さっきまでにんにくもみじん切りにしていたんだが、それが使い切っちまったってんで、さっき追加がきた」
どれだけ客はそれ注文して食ってんだ、とサンジも半ば呆れ顔である。
「……ん、そう言えば……」


――そういえば、前にこの上の客みたいにめちゃくちゃ肉ばっか食ってたヤツ、いたよな……。


サンジがにんにくをみじん切りにするべく手を動かしながらもそんなことを思い出したところで、バタバタバタと厨房に駆け込んでくる慌ただしい足音が客室とは反対側にある従業員通路から聞こえてきた。
「――チーフ、サンジチーフ!」
息を切らしながら彼の名前を呼びながら入ってきたのは、上階の厨房でコックをつとめている男の一人だった。サンジとも当然面識がある。
「ああ、たまねぎの追加ならできてるぜ。さっきにんにくの追加が入ったからこれから追加やるところだが、どうした?」
用件はそれだろとばかりにサンジがたまねぎのみじん切りで一杯になった大ボウルを顎で指し示して言うと、男は首を振った。
「それも一緒に取りに来たんだが、ちょっと来てくれ。個室の客が、あんたを指名している」
「……はぁ?」
その言葉にサンジがきょとんとしたのも束の間、すぐにはっとしたように男に向かい直った。
「もしかして上の客はマダム・タルエルか?あの方の食べっぷりは見ていて気持ちがいい!」
「違う」
男は首を振った。
「それじゃマダム・イスラフィール?」
――あのマダムもよく食べてくれるけど、どっちかというとあのひとは肉より魚の方だ。宗旨替えしたのか!?
「違う」
――あのマダムでもない?だとしたらあと食べっぷりがいいのは……。
サンジが脳裏の中の「個室を利用するよく食べる女性常連客リスト」の上位を照会しつつ、男にさらに尋ねた。
「で、ではもしかしてレディ・ジブリールとか!?」
――うおおおおおあのひとがこんなにマンガ肉が好きならば、おれはずっとマンガ肉担当になってもいい!!
「チーフ……残念ながら、女じゃない」
テンションの上がりまくったサンジをなだめるように、男は告げた。
「何だと……!!」
一気にやる気を削がれた、とばかりにサンジが唸ると、男は笑って「子供だよ」と呟いた。
「男で、しかもガキだと……?そんなのがおれに何の用だってんだ?」
「あんたの知り合いだと言ってるそうだ」
「……?」
サンジの頭がフル回転をして、上階で食事ができそうな男の子供の顔を脳内で検索するが、ぴたりと当てはまるものがない。
「あんたの知り合いならってんで、うちのチーフが呼んでこいって言ってたんだ」
「心当たりねェんだけどよ」
「それでもとりあえず顔出してくれないか」
「……」
サンジは大きく息を吐くと、一体誰だよと言わんばかりの顔でたまねぎのみじん切りの入ったボウルを抱えると、厨房から出ていった。


 


「――よお、サンジ!」
豪華な客間――それもそのはずで、この部屋はレストランでは最上階、フロアまるごと一つの客室という最上級の部屋だ。
部屋中に敷き詰められた立派な絨毯はゴブラン織り、壁に掛けられた絵画には有名な画家の作品もいくつか見受けられる。大きなテーブルにかけられたテーブルクロスは総レースの手の込んだもので、出される食器はすべて銀器。テーブルを飾る燭台やオーナメントは金で作られているという豪華さだ。
勿論テーブルや椅子も有名な家具職人たちが作り上げた一品ものばかりである。
この部屋を利用するのは羽振りのいい貴族たちがほとんどで、まず一般人ではこの部屋の席料ならぬ室料を払うことすら難しい。
だが、そのような部屋に似つかわしい上品な貴族の子供がそこのいるのかと思いきや、いたのは一応建前でスーツは着ているようだが頭にはなぜか麦わら帽子、そして足は靴ではなく草履を履いているという場違いぶりを発揮している少年だ。
――おい、間違ってこいつこの部屋に通したんじゃねぇのか、とサンジが一緒に入ってきたこの個室担当のウェイターに目配せを送ると、そのウェイターは「そう言いたいのはこっちも同じだが、室料は全額先払いだった」と目配せで返してきた。
マジかよ、とサンジは内心で思う。
この部屋の室料を難なく払うということは、それだけの財力をこの少年が持っているということだ。
だがとにもかくも、入ってくるなり彼を気安い様子で呼び捨てにしてきたこの少年は確かにサンジ自身を知っているようだった。
年はおそらく二十歳もいっていないだろう。外見は短い黒髪に、東の出身と思われるような肌の色。目も黒いが、その瞳に鋭い光が宿っているように感じる。
身体は大きいほうでなくむしろ背は並みで痩せ形に見えるが、雰囲気は普通の同年代の少年とは全く違い、何かがあると直感的に思わせ、印象に残るような少年だった。 
まじまじとサンジは相手を観察したものの、彼の記憶からはこの黒髪の印象的な少年に合致する人物は一人として思い当たらなかった。
「……確かに私がサンジですが、人違いでは?」
あえてサンジは営業用の口調で丁寧にそう答えた。どこかであったかもしれないが、こっちは不特定多数を相手する客商売である。女性ならまだしもよほどのことがない限り、ひとりひとりを覚えていられるわけではない。
「いいや、おまえだよサンジ。おれが探していたのは!」
その少年は口にマンガ肉を頬張りながら、行儀悪くもサンジを指さしてきっぱりとそう告げた。
サンジがこんなやつ知り合いにいないはずだ、とばかりに眉間に皺を寄せていると、彼はああそうか、と思い出したように呟いた。
「……ああ。おまえ、忘れちまったのか?」
「忘れ……?」

――なにを忘れるって?
サンジは自分にそう問いかけた。
――こんなガキ、おれは知らねェ。

「おまえ、前はバラティエっていう店にいただろう。その時メシ食わせてくれたじゃねェか。急におまえやめたって聞いたから、探したんだぞ」
「……」
――確かに、とサンジは思う。
――おれはこの店に来る前はバラティエにいた。おれの養父であるクソジジィ、ゼフの店だ。でも、ここからバラティエはあまりにも遠い。
しかもバラティエは、「夜」世界との境界近くにあるため、戦地から一番近いレストランとして知られている。端境においての戦いの実情を知らない「昼」の住民たちにとっては、「金さえ払えば「夜」の魔族にでも料理を出すレストラン」と噂されているようないわくつきのレストランだ。
「確かにおれはバラティエにいたが……」
――お前には覚えがない。 
サンジが困惑したように相手を見やると、彼は少し考えるような顔をしたあと、すぐにししっと笑った。
「……ん――、忘れちまったのなら仕方ねェな。うし、おれはルフィだ。よろしくな!」
そしてあきれるくらいあっさりとそう言ってサンジに手を差し出してきた。
――よろしくっていきなり言われてもよ……。
サンジが面食らったようにあ、ああとばかりに頷くと、ルフィと名乗った少年は手、手を出せとばかりにサンジに催促をしてくる。
一緒に入ってきたこの部屋担当のウェイターがサンジの背をそっと小突いた。
ともかく客に応対しろ、と言わんばかりの彼の態度にサンジは分かってる、と相手を見やり、まぁここは無難にとばかりにルフィに手を差し出す。
すると、ルフィはがしっと両手でサンジの右手を掴んで、こう叫んだ。
「というわけで、おまえのメシが食いたいんだおれは!!」


 


「サンジチーフ、あの客一体何なんだ?」
個室担当の厨房へ腑に落ちない、という顔をして下がってきたサンジに、待ち構えていたらしい個室担当の壮年のチーフが詰め寄ってきた。
「おれの前の職場で会ったことがあるみてェなんだが……おれには記憶がねェ」
――似たような大食らいなら、バラティエじゃ珍しくねェしな。向こうの客は「夜」の連中とドンパチやってた奴らばっかりだったから、体が資本ってヤツ多かったし……。向こうが覚えていても、こっちが一見の客を覚えていないのは別に珍しいことじゃねェし……。
そうは思うものの、サンジは「特別な事情で」食事をさせた相手についてはたいていは覚えていた。そうでなければ、客が自分の名前を知っているとは思えなかったのだ。
だが、やはりあんな少年の姿は自分の記憶にさっぱり引っかかってこない。

「おまえのチャーハン久しぶりに食いてェんだ。あれめっちゃくちゃうまかったからなぁ!」

そしてたった今、チャーハンをルフィが注文して来たことにサンジは少なからず動揺していた。
チャーハンは少なくともバラティエのメニュー表には載っていない。バラティエではいわば賄い料理の一つに数えられる。
だからバラティエでサンジのチャーハンを食った、というのは少なくともサンジ自身が賄い料理を「特別な事情で」提供したということの他ならない。
「……すまないけどチーフ、客がおれのチャーハンをご所望ってことなら、おれが作るから厨房借りていいか?下の厨房もう火を落としてるんだ」
「それはかまわないが……手伝うことはあるか?」
「だったら、基本的におれのチャーハンは賄いで作るから、余った端材でやってる。今日出た余りものを全部使わせてくれねェか」
「あまりもので……」
壮年のチーフは絶句したようだった。それも当然だろう。
このレストランでは上客中の上客が利用する最上級の厨房。そこではいつも最高の食材で最高の料理を作っており、当然食材自体も値が張るものがほとんどだ。それをあまりものだけでいいから作らせてくれなどというのは、ある意味そこを担当するコック自身や厨房にもなんだか申し訳ないような気分になるというものだ。
「決してこのレストランのトップチーフのあんたをないがしろにしているわけじゃねェし、高級食材を軽んじてるわけでもねェ。けど、バラティエのおれ知ってるっていうなら、おれじゃないと多分だめだと思う。あいつ、あんな見かけだけど帰還兵の一人かもしれねェ」
「帰還兵……」
その言葉に壮年のチーフが何か考え込むような顔をした。
帰還兵とはその言葉のとおり「夜」世界の住民たちとの戦に赴き、その期間が終了して無事に帰ってきた兵士のことだ。
「あの頃、バラティエに来た客のなかには金がないから兵士になって、給金はみんな仕送りにして手元に金がなくて、食べたくても食べれないっていう兵士が結構いたんだ。そういうのにおれは格安で賄いのチャーハンを出してた」
無料でとは言える雰囲気ではなかったので、サンジはあえて格安と説明する。
「だから貴族さまの食べるような薄味主流の味付けじゃなくて、濃い味付けが好まれるんだ。あいつら体力勝負なところがあったから、塩っ辛いくらいに塩味利かせないと塩味しねェって言ってたし」
「……」
「そういうのはここが本来作る料理じゃねェし、おれも労働者用のチャーハンなんて作るの久しぶりだよ。そういやあれ以来おれ賄いやるなって言われて……て……」


――あれ?
賄いやるなって言われたのはなにが原因だったんだ?
基本的にジジィは賄い出すことに対してはなにも口を挟むことはなかった。ジジィ自身、時々こっそり賄い出してたりしてたからな。


「……それじゃあ、野菜刻むくらいはやらせてもらうよ」
「あ、ああ、助かるぜ」
そう壮年のチーフの声がかかったことでサンジははっと我に返った。ひとまず思い出したことは置いておいて、目の前に用意されたチャーハンの具材になる野菜の切れ端などを慌てて検分する。
その野菜の切れ端を見るだけでも、すぐにこの野菜の質がいいことが分かってサンジは内心溜息をついた。
「……むしろあんたの領域で勝手させてもらってすまねェ」
それは本心だった。本来ならばこのレストランで最高位のコックは誰かと言うならば、この最上階の個室担当の厨房の責任者である彼のはずなのだ。
その彼の城ともいえる場所で自分が勝手に包丁を握っていることには抵抗を覚える。自分が逆の立場だったら客の指名とはいえ、いい気はしないだろう。
だが壮年のチーフは気を悪くしたふうもなく、呟いた。
「それは構わないさ。私は労働者が好むようなものをあまり出したことはないからな。そういう注文も今後はあるかもしれんということは肝に銘じておこう」
――やっぱりこのオッサン謙虚だよな、仕事も出来るしバラティエにはいねェタイプだ。
基本的に職人には敬意を払う性格のサンジはそんなことを思いながら、中華鍋に火をかけて油をひいた。
そして最初に豚肉を炒め、細かく切った野菜をさっと炒めて濃く味付けをする。
それらを鍋から取り出して、代わりにご飯を鍋に放り込む。少しほぐれたらとき卵をいれてぱらぱらになるまでほぐして炒めるのがポイントだ。
味付けはあくまでも濃く。塩も多めに。
――次の日も元気に働けるように。
バラティエにいたあの頃は、そういう思いを込めて作っていた。
夕闇とともに兵士たちがわずかな息抜きを求めて夕食を食べにやってくる。朝焼けを見ながら大量に仕入れた肉や酒はあっという間になくなり、厨房もフロアも毎日目の回るような忙しさだった。
太陽とともに一日が始まり、夜が更けるころに一日が終わるレストラン。
あそこは自然に昼と夜が一日に交互に来る、この世界では珍しいといわれている場所でもあった。


皿にこんもりと盛られたチャーハンを手に、サンジが上客専用の最上階の個室に入っていくと、待ちくたびれたという顔をしたルフィが座っている。
「遅いぞ〜腹減った!」
「それはすみません」
あくまでも受け答えは丁寧だがそっけなく、サンジは答える。
「かなり味付け濃いぞ」
一応そう断りを入れようとしたサンジをよそに、ルフィは皿が置かれた瞬間に両手に皿を持つと、そのまま皿に口をつけあおるようにしてチャーハンを口に入れた。
――マジか、この客。あの量のチャーハンひとのみかよ!
むしろその行動に度肝を抜かれたサンジが呆然と立ち尽くしていると、ルフィは顔を上げてサンジの顔を見た。
「うん、やっぱこの味だな!久しぶりに食った。おまえのチャーハン、うめェよ!!」
そして満面の笑顔。
「……そ、それはどうも……」
「他人行儀だなァ、おまえ」
そんなヤツじゃないだろうとばかりにルフィが席から立ち上がり、ペタペタと草履を鳴らしてサンジに近づいてきた。
その時、ふっとサンジの脳裏に何かがよぎる。

……あれ、この光景。

――似たようなことがあった。
そうだ、こいつ、おれにこうして近づいて来たことがある……。

「つまみ食いするんじゃねェって、おまえにはよく怒られて蹴られてたよな。おまえ足蹴りめっちゃ強ェし」
「……!」
――おれが蹴り得意だってことも、こいつ知ってる。
バラティエは戦地に近いレストランということもあり、戦禍が及ぶことは何度かあった。そんな時、バラティエはそれぞれ料理人たちが武器を手にしてレストランを守った。
サンジもまたオーナー直伝の蹴り技で敵を何度も退けている。自分たちでレストランを守ることはバラティエの料理人たちにとっては誇りでもあったのだ。
――やっぱりこいつ、おれのことよく知ってる。それにこんなふうに素直に笑顔でうめェって言ってくれたヤツを、忘れるのかおれは?
「料理うめェし、かっこいいしなおまえ!」
同性に素直にかっこいいと褒められれば、いい気がしない男なぞいないだろう。
「そ、そうか……」
――照れるじゃねェか、そんな面と向かって言われたら、などとサンジが思っていると、その次にルフィの口から出たのは爆弾発言と言っていい代物だった。
「だから、今度こそおれはおまえをモノにするぞ!」
びしりと指をさされての発言に、サンジが目を細めた。
「……はぁ!?」
突然の発言に一体なにを言いやがってるんだこいつ、とサンジは目の前に立つ少年を見下ろすと、ルフィがさらに続ける。
「言っとくけど、前におれはおまえに同じことを言ったぞ?」
「……」
――そんな記憶はねェんだけど、とサンジは思うものの、そこまで本当にこの少年に言われていたのなら自分が忘れているなんてことはあり得ないだろうとも考えて眉を潜める。
「ま、忘れてるんなら仕方ねェけどよ」
ルフィはサンジのそんな葛藤を読みとったようにそう一人ごちるように呟いた。
「でも、今度は邪魔が入らねェから」
「邪魔……?」
何の邪魔だ、とサンジが訝しく思ったとき、ずいっとルフィが身を乗り出してきて、そんなことよりもおれはもっとおまえのメシが食いてぇな、と耳元で囁かれた。
その声に、ぞくりと体が震える。
「また来るからさ。そんときはおまえ指名でいいだろ」
わけのわからない、相手に呑まれるような雰囲気。
それに抗うようにサンジが慌てて首を振った。
「……残念だがこの部屋のチーフコックはおれじゃねェ。おれの料理食いたかったら昼間に下の一般向けの部屋に来い。おれはそっちの厨房にいるから」
「なんだおまえ、ここのレストランのオーナーじゃねェのか」
するとルフィは意外そうに呟いた。
「違うね。おれは雇われの身だ」
「おまえ雇われてんのか」
「ああ」

――ジジィには修行だといってここに放り込まれたんだよなぁ。バラティエでは得られない知識叩き込んでこいとか言われて。
それもえらく急な話だった。

確かにこのレストランではバラティエでは扱っていなかった「昼」の食材や「夜」の食材も色々入ってくるので、その調理法を教えてもらうだけでもサンジ自身の勉強になっていた。
「だったら、おまえの今の給金の倍出すから、おれのところに来いよ」
「だめだな」
サンジはすげなく答えた。
「給料の倍出すって話は確かに魅力だが、おれは別にここには金を稼ぐことが目的で来ている訳じゃない」
「……じゃあ何が目的なんだ?」
その時、ルフィの眼があやしく光ったような気がした。
「修行のためだよ。おまえの所にいっても、おれの修行にはならねェからな」
するとルフィは一瞬きょとんとした顔をして、やがてうんうんと頷いた。
「……そういうとこも、やっぱイイよなおまえ」
「……」
その答えで納得してしまったルフィに、サンジは何が言いたいんだとばかりに胡乱な表情を向ける。
「……どうでもいいが、その誤解を招くような言い方やめろ」
「なんだよ、イイって思ったからそう言っただけじゃないか」
――他にどういえばいいんだよ。
「……天然かよてめェ」
ぼそりと小さく呟いた声はルフィの耳には届かなかったようだった。そして彼はサンジを真正面から見据える。
「イイと思ったからおまえが欲しいんだ。おれどこか間違っているか?」
「……普通はそんなこと面と向かって言わないぜ、まして男に」
こっぱずかしくねェのかよ、とばかりに呆れたようにそう言うと、ルフィは笑った。
「なにがおかしい」
「いや、おまえ本当に変わってねェなと思って」
「……」
思わずサンジが黙り込む。


――こんなやつ、本当におれどうして覚えてねェんだ?
こんなやりとりを前にもしてるっていうのなら、余計忘れるわけねェじゃねェか。


「それじゃ次は下の部屋に行けばいいんだな。おまえのメシ食うんなら」
「……ああ」
「そっか、じゃあ今日はもうちょっとおまえのメシ食いたいけど……食うのは明日の楽しみにとっておくことにする!」
ルフィがそのまま、もうここには用はないばかりにサンジの側を通り過ぎて出口へ向かおうとしたところで、サンジが焦ったように声をかけた。
「――おい、おまえ!」
――一方的に言って帰るつもりかよ。こっちは何も分からないってのに!!
「なんだ?」
するとくるりとルフィが振り向く。
「……ルフィとか言ったな。おまえはおれのことよく知っているようだが、おれは、おまえにマジで心当たりがない」
「……」
ルフィはそれには無言で、ただ笑っただけだった。
それはそのことを理解しているようでもあり、サンジの知らない何かを知っているような表情でもあった。
「だとしても、おれのしたいことは変わらねェよ」
――おまえが欲しいんだ。
最後にそうサンジにそう告げて、そのままルフィは部屋から出ていった。

一人豪華な客室に取り残されたサンジが低く呟く。
「……おれが欲しいって?」
――なにを言ってやがるんだあのガキ、とサンジは笑い飛ばそうとしたが、それは何故かうまくできなかった。
言うことかいてなんだその言葉は。 
それにあいつは確実におれのことを知っているようなのに、おれはどうしてあいつのことを覚えていない?
「……ふざけるな」
そう強く拳を握りしめてみたものの、どういうわけか漠然とした不安だけが残って、サンジは舌打ちをした。


 


「……ふうん。それで、あんたノコノコ引き下がってきたってわけ?」
月の光が差し込むバーの一角で、らしくない、とばかりに頬杖をつきながら呟いたオレンジ色の髪をした女に、右隣にいた鼻の長い男が、おいおいと手を振る。
「いい過ぎだろ、ナミ」
「なに言ってるのよ。あの時ダエテルノをみすみす逃したのは誰のせいだと思ってるの」
――あの人間がダエテルノだって分かった瞬間に隷属させとけば、こんなに探し回る苦労はしなかったでしょうに。
「……」
彼女の左隣に座って大きなサンドイッチにかぶりついている無言の黒髪の少年に、ナミと呼ばれた女は肩を竦めて見せた。
「あんたが狙ってるから、あの人間は標的に選ばれたって言いたいの?それは確かにそうかもしれないわ。あんたの上げ足を取りたいやつなんていくらでもいるでしょうからね」
「……」
「あんたが勝手に自分の好みな連中を連れてきたり遊んだりするのは別にどうでも構わないわ。だけど、あれがダエテルノなら話は別。本当にダエテルノ――「永遠を約束するもの」なら、あれはあんたの致命傷になりかねない。それこそ永遠を夢見ている連中には喉から手を出しても欲しいものでしょ」
「そんなのには手出しはさせねェよ、今回は!」
黒髪の少年がサンドイッチを頬張ったまま苛立ったようにそう言い返すと、ナミは首を呆れたように大きく振る。
「今回は……ね、ルフィ。この前逃したからには、次はないと思ったほうがいいわ」
「分かってる」
「だったらすぐにでも、あんたのダエテルノをものにしてきなさい」
「勿論そうするつもりだ」
ルフィは力強く頷くのを、ナミはさらに呆れ果てたように見やった。
「時間がかかれば、それだけ他の奴らにあれを取られる機会を与えてるってことを忘れないようにね。あんたの動きはチェックされてるってこと、肝に銘じておきなさい」
「……でもよ、ダエテルノは今サンクトゥスにいるんだろ?だったらひとまず質より量ってことはねェんだろ。この前みたいに」
――サンクトゥスは一応「昼」世界の守りがかなり固いところだ。そう簡単にダエテルノに手を出す連中なんて出てこないだろう。だからおまえも落ち着けよ、とばかりに鼻の長い男が彼女をなだめる。
するとナミは何甘いこと言ってるのよ、と言わんばかりの顔で彼に向かい直って告げた。
「ウソップ、だから余計に悪いんじゃない。サンクトゥスで動き回れるような力の持ち主なら、今のダエテルノには誰でも簡単に近づけるってことじゃない」
――だ・か・らその前に。
そう彼女は念を押す。


「あんたがあれを手に入れなさい」


――手段を選んでいる暇はないわよ。魅惑でも吸血でもなんでもいいから早く手を打ちなさい。
あんた、一回はあのダエテルノ相手に魅惑も吸血も成功しているんでしょう。
あんたのかけた術が破られている今のダエテルノは誰にでもモノにするチャンスがあるってことなのよ。
「……」
それにはルフィは無言だった。

to be continued...